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「元寇」~その2~

前回
 
「元寇」~その1~
 
 
続き。
 
 
文永の役
 
1274年(文永11年・至元11年)
1月、クビライは大将軍・洪茶丘を高麗に派遣し、戦艦300艘の建造を開始。
5月、元から派遣された日本侵攻の主力軍15,000人が高麗に到着。
同月、クビライは娘を高麗国王・元宗の子に嫁がせ、日本侵攻を前に元と高麗の関係をより強固にする。
6月、高麗は元に使者を派遣し、戦艦300艘の造船を完了させ、軍船大小900艘を揃えて高麗の金州に泊めたことを報告。(高麗負担)
7月、高麗の元宗が死去
8月、新しく第25代高麗国王・忠烈王が即位。日本侵攻軍の総司令官にしてモンゴル人の都元帥が高麗に着任。
 
10月3日、モンゴル人の都元帥・クドゥンを総司令官として蒙古・漢軍15,000~25,000人の主力軍と高麗軍5,300~8,000、水夫を含む総計27,000~40,000人を乗せた726~900艘の軍船が、女真人の軍勢の到着を待って朝鮮半島の合浦(がっぽ:現在の大韓民国馬山)を出航。
  
  


  

 
 
対馬侵攻
10月5日、元軍は対馬に襲来。
対馬守護代・宗助国は通訳を通して元軍に事情を尋ねさせたが元軍は船から矢を放つ。

7、8艘の大型船より1,000人ほどの元軍が上陸し、宗資国は80余騎で陣を構え矢で応戦。対馬勢は多くの元兵と元軍の将軍と思しき人物を射倒し、宗助国自らも4人射倒すなど奮戦したものの、対馬勢は戦死。元軍は佐須浦を焼き払った。

 
同日、元軍の襲来を伝達するため、対馬勢の小太郎・兵衛次郎らが対馬を脱出し、博多へ出航。
 
 
対馬守護代・宗助国の戦死
 
 
対馬の惨状
『高麗史』金方慶伝によると、元軍・高麗連合軍は対馬に入ると島人を多く殺害した。
また、高麗軍司令官・金方慶の墓碑『金方慶墓誌銘』にも「日本に討ち入りし、捕虜が甚だ多く越す」とあり、多くの被害を島人に与えた。
  
  
この時の対馬の惨状について、役から2年後、日蓮宗の日蓮が当時の伝聞を記している。
 
・ 町を焼き払い、対馬・壱岐の人々のほとんどは殺された。
・ 山に逃れた島民をしつこく捜し、妊婦の腹を裂いては胎児を出す。
・ 乳呑み児の股を引き裂く。
・ 捕らえた男女の耳や鼻を削(そ)ぎ、苦しむさまを見て楽しむ。
・ 少年・少女200人を奴隷として拉致し高麗王へ献上。
・ 生け捕りにされた女性は手のひらに穴が開けられ、ひもを通し数珠つなぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられた。
 

 
 
ひどい話です。
 
この残虐な被害が伝えられていた為
弘安の役で台風により取り残された10万の元軍に対する日本軍の掃討作戦が、復讐を兼ねた恐ろしいものになったとも言われています。
 
 
壱岐侵攻


10月14日、対馬に続き、元軍は壱岐島の西側、写真の浦海海岸、天が原、湯の本方面海岸に上陸。
壱岐守護代・平景隆は100余騎で応戦したが敗れる。
10月15日、景隆は樋詰城で自害。
『高麗史』金方慶伝には、壱岐島での戦闘の模様が以下のように記されている。
 
 
元軍が壱岐島に至ると、日本軍は岸上に陣を布いて待ち受けていた。
高麗軍は敗走する日本兵を追った。
壱岐島の日本軍は降伏を願い出たが後になって元軍に攻撃を仕掛ける。
これに対して蒙古・漢軍・高麗軍諸将は応戦し、日本兵を1,000余り討ち取った。
 
日蓮は、この時の壱岐の惨状を「壱岐対馬九国の兵並びに男女、多く或は殺され、或は擒(と)らわれ或は海に入り、或は崖より堕(お)ちし者、幾千万と云ふ事なし」と記している。
 
その後の弘安の役を含む2回の戦闘で壱岐の人口は二桁までになったと言われています。
 
対馬、壱岐を侵した後、元軍は肥前沿岸へと向かった。
 
 
肥前沿岸襲来



10月16-17日、元軍は肥前沿岸の松浦郡および平戸島・鷹島・能古島の松浦党の領地に襲来。室町時代の日澄によれば、松浦党は数百人が伐たれあるいは捕虜となり、肥前沿岸の惨状は壱岐や対馬のようであったといいます。  
 
 
元軍は博多湾へ向かいます。
 
 
 
 
「元寇」~その3~





終わる気がしないぜ。


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「元寇」~その1~

 
みなさん。ご無沙汰しています。

いきなりですが今日より数日に分けて
僕の「夏休み自由研究」をエントリーします。

 
皆さんご存じの
超有名な日本と福岡の一大事。

wikipediaやブログを中心に読んでいて
なかなか面白かったので
メモ代わりに少しずつまとめてみました。
  
なぜいきなり?っと言われてもわかりません。
睡眠時間を削っての突発的な行動。

まあ、ちょっと地域の歴史を
調べる機会があったのがきっかけかなぁ。

ヴァナにインもしていないや・・・
 
ふふふ。(怖)
  
  
  
  
「元寇」
 
  
鎌倉時代、モンゴル帝国5代皇帝

「クビライ=カアン」が
従えた高麗や南宋の兵をもって
2度に渡り日本に攻め込んだ戦い。
海外異民族との国運をかけた大きな出来事です。

 

 
 
神風が吹いて追い払ったっていう
有名なあれですね。
  
まさに戦場となった我が町福岡。

だからといって
特にこれといった集中授業がある訳でもないんすが
小さいころ何気なく遊んだり訪れた丘や緑地や神社
が元寇の史跡だったりすることを
大人になって知ることが多々あります。
 
 
早良区祖原山 元軍陣跡

 
もちろんすでに有名な歴史で
大河ドラマになったり漫画になったり
ブログのエントリーもいくつかありますが
僕も地元の観点からちょっと
書いてみたくなりました。
 
 
 
一般的に言われる元寇の文永の役は
このような感じ。
 
「1274年、高麗軍を含む元軍約3万が九州北部、現在の福岡県の博多湾に襲来。
元軍の集団戦法や「てつはう」と呼ばれる火器など、日本と全く異なった戦術
を得意としていた。元軍の統制のとれた戦術に対し、日本軍は一騎打ち戦法で
挑んでおり、非常に苦しい戦いを強いられる。しかし、元軍は暴風雨により退
却を呼びなくされた。この戦いの後、幕府は異国警固番役の教化、博多湾沿い
に、幅・高さ2m、総延長20kmに及ぶ巨大な防塁・石塁の構築などを行ってお
り、2度目の襲撃に備えた。引用終わり。」
 
 
日本側史料、元朝側史料、高麗側史料、
ヨーロッパ側史料などで歴史研究が進み
教科書で見知った内容とは違う内容が
色々と明らかになっています。

諸説あるのは大前提ではありますが・・・。 
  
  
それでは参りましょう。
   
 
中国の「南宋」を攻略中だったクビライは
硫黄などを含む交易をしてた「日本」へ、
南宋を孤立化する目的もあり、
自らに従わせるべく、まず「使者」を
向かわせることにしました。
硫黄などは火薬の材料となります。
 
そもそもマルコポーロなどの情報から
黄金の国と噂の日本に興味があったクビライ。
従えた高麗などからの進言もあり、
いずれにせよ侵攻するつもりではあったようです。
 
 
世界情勢

 
 
第一回使節
 
1266年(文永3年・至元3年)付で
日本宛国書である「大蒙古国皇帝奉書」を作成。
 

※っていう脅し文句入り
 
 
使節団を高麗を経由して
日本へ派遣したかったのですが
これが日本へは簡単には届きません。
 
高麗側は、人員と戦費の負担を嫌がり
対馬を望む海岸線から海の荒れ方を見せて

航海が危険だとか、日本人はかたくなで
荒々しく礼儀を知らないなど理由に

日本への進出は不要であると使節団を
説得します。
それになぜか納得した使節団は
高麗の官吏と共にクビライの下に帰朝します。
 
クビライは激怒します。当然でしょう。

高麗の元宗に
「しっかり責任を持って届けるように」
っと命令します。(^_^;) 
 
 
第二回使節
1268年(文永5年・至元 5年)正月、
怒られた高麗の使節団が大宰府に到着。
 
 
 
当時の大宰府の位置関係

 
現在の大宰府跡地
 
 
 
大宰府は1回目に渡せなかった恐喝まがいの
書状含む3通を受け取り鎌倉へ送達します。
鎌倉幕府ではこの年の3月に「北条時宗」
若干18歳が8代執権に就任したばかりでした。
 

 
当時、外交は朝廷の担当であったため
幕府は朝廷に国書を回送したものの対応を巡る
朝廷の評定は連日続けられる展開でグダグダに。
 
時宗率いる幕府も属国になれという
横暴な書状は無視をすることとし
国内には「蒙古人が日本を狙っており、
牒使を派遣してきたとして
蒙古軍の襲来に備えて用心するよう」
御家人らに通達。
 
鎌倉には南宋より禅僧も渡来しており、
モンゴル帝国の暴虐などの報告も
あったとされていました。
 
使節団は日本側の反応がないまま、
太宰府到来から7か月後に高麗へ帰還。
高麗は遣使の失敗の旨をクビライに報告。
 
しかし、クビライもクビライで
使節団の帰還を待たずして
「朕、宋(南宋)と日本とを討たんと
欲するのみ」と日本征服の意思を表明し、
高麗に戦艦1,000艘(そう)の造船を
命じています。
 
 
第三回使節
1269年(文永6年・至元6年)2月、
クビライは再び使節団を日本へ派遣。

高麗人の案内で総勢75名の使節団が対馬に上陸。
使節らは日本側から拒まれたため
対馬から先には進めず日本側と喧嘩になった際に
対馬島人の塔二郎と弥二郎という2名を
捕らえ、これらと共に帰還。(^_^;)
 
クビライは、使節団が日本人を連れて
帰ってきたことを大いに喜び
その2名に、多くの宝物を下賜し、
クビライの宮殿を観覧。

二人は感嘆。これを聞いたクビライは
さらに喜び、二人を首都・燕京
(後の大都)の万寿山の玉殿や
諸々の城も観覧させます。\(^o^)/
 
 
第四回使節
同年9月、捕えた対馬島人の
塔二郎と弥二郎らを首都・燕京(後の大都)
から護送する名目で使者として高麗人使節が
大宰府守護所に到来。
日本に明確に服属を要求。(>︿<。)

これに対して、朝廷の評定では、
モンゴル帝国の服属の要求を拒否する返事を
出すことを決定。

北条時宗率いる幕府は「無視」を決定!
朝廷に返事もしないことを上奏。
朝廷が幕府の提案を受け入れたため、
モンゴル帝国からの使節は返書を
また得ることに失敗し帰還。ヽ(^o^)丿
 
 
1271年(文永8年・至元8年)9月
元の支配に不満がある
高麗の軍組織「三別抄」が南方海上で反乱。
 
その三別抄は何故か日本に軍事的援助を乞う
使者派遣。
クビライの配下の国からの援軍要請に
朝廷は混乱たが時宗は援軍は送らなかった
とのこと。※1273年(文永10年・至元10年)
4月、元は高麗軍の主力をもって平定。
(三別抄の乱)日本は少し
時間稼ぎができました。
 
 
第五回使節
同年(文永8年・至元8年)9月、
三別抄の使者が到来した直後に
元使である女真人の趙良弼らが
モンゴル帝国への服属を命じる国書を
携えて5度目の使節として100人余りを
引き連れて到来。

クビライは、日本に近い高麗の金州に
軍勢を集結させるなど、今回の
使節派遣は軍事力を伴うものでした。
 
大宰府西守護所に到着したが、
日本側が大宰府以東への訪問を拒否!
やむなく国書の写しを手渡し、
11月末の回答期限を守らねば武力行使も
辞さないと最後通告。

さすがに無視はちょっとヤバいかと
朝廷は評定を行い、ひとまず先に
返書の代わりとして、日本の使節が
クビライのもとへと派遣されることに。

また返書はもらえないものの
日本使とともに帰還の途に就く。
 
 
同年11月、クビライは国号を
新たに「大元」と定める。
  
 
執権・北条時宗は、このような
モンゴル帝国の襲来の動きに対して以下の
ような防衛体制を敷く。
 
同年1271年(文永8年・至元8年)、
北条時宗は鎮西に所領を持つ
東国御家人に鎮西に赴くように命じ、
守護の指揮のもと蒙古襲来に備え
させ、さらに鎮西の悪党の鎮圧を命じた。
 
 
 
これがきっかけとなり、東国御家人は
漸次九州に土着していく。
  
 
1272年(文永9年・至元9年)、
12人の日本使(『元史』日本伝では26人)
が1月に高麗を経由し、元の首都・大都を訪問。後の北京。
 
 
 
   
 
元側は日本使は偵察だと判断し、
クビライへの謁見は許さなかった。
高麗に駐屯する元軍が日本側を
警戒さていることを知った元の丞相
アントンは日本使に対し、その軍は高麗で
反乱を起こした三別抄に
備えたものと説明するようクビライに進言し、
クビライは採用。
大都を後にした日本使は、
4月に高麗を経由して帰国。
 
 
第六回使節
1272年(文永9年・至元9年)4月又は12月、
元使である女真人の趙良弼ら
は、6度目の使節として再び日本に到来。
 
使節団が到来すると日本の「国主」は
クビライ宛に返書し和を議そう
としたが、南宋より派遣された
渡宋禅僧・瓊林(けいりん)が帰国して
趙良弼らを妨害したため、趙らは
またまた返書を得ることができなかった。
さらに趙良弼らは大宰府より
日本の国都(京都)に入ることができなかっ
たことから、再び元に帰還した。
 
日本に未到着のものも含む合計6回、
日本へ使節を派遣したが、ほぼ無視。
結局返書は出さなかったわけです。
ここがすごいですね。
 
キレたクビライはついに「武力侵攻」を
決断しますが
趙良弼に日本侵攻の無益を説かれ一度従います。
優しいです!
 
 
1272年(文永9年・至元9年)、
北条時宗は異国警固番役を設置。

元軍の襲来が予想される筑前・肥前の要害警護
および博多津の沿岸警固。
同年2月、北条時宗は後嵯峨上皇没直後の
二月騒動で庶兄・北条時輔等を
粛清し幕府の統制強化。
なお、『高麗史』によると、日本側が高麗に
船を派遣して、諜報活動を
行っていたと思われる記述もあります。
すごい・・・。
 
 
1273年(文永10年・至元10年)にクビライは
前言を翻し、日本侵攻の準
備を開始。この時点で、元は南宋との
5年に及ぶ襄陽・樊城の戦いで勝利し、
南宋は元に対抗する国力を失っていた。
また朝鮮半島の三別抄も元に滅ぼされており、
軍事作戦を対日本に専念させることが
可能となっていました。

ついに日本大ピンチです!!!!
  
 
とりあえず第一回はここまで。
 
ってかモンゴル・・・グダグダ・・・
全然進んでいないぜ・・・。
 
 
計り知れないほどの強敵に対して
ここまで無視って

「北条時宗」カッコいい!!
 
 
 

「元寇」~その2~



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休みの計画


福岡近隣で
ほぼ毎年、極秘裏に行われる

「真夏のビールオフ会(仮)」

について

暗号化された開催通知が
この時期
PCメールに密やかに届くのですが


今年はまだありません。

なしのつぶてです。


平企画事務所の秘書が総力を上げて調べたところ
エージェント総勢5名中
2名(久留米1名・市内1名)が

夏の攻撃に屈し

衰弱中とのこと。(別名夏バテ



九州男児のくせになっとらんなぁ!



残るエージェントは僕を含めて3名。

今日返信があった紅一点のエージェント
ピンクー(春日市1名)は
今年の盆前は関東本部(実家)に帰省するよ?とのこと。


むむむ。


ってことは
残ったのはビール腹ヒゲオヤジエージェントと
セクシータイちゃんのみなわけだ。



・・・



や、やめとこう。









っていうか

暑いから久しぶりに映画でも見たいな。




盆前休みの計画を練っております。









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王将


あ、そうだ!

っと思い立って

お昼御飯は「餃子の王将」に行って来ました。

久しぶりです。6年ぶりぐらいかな?

そのくらい。


広い店内のまだ人が少ないカウンター左端に座ったんだけど

しばらくして僕の真横に

おじいさんが着席。

他も空いているのに、なぜ・・・。


日替り定食680円を注文。




なかなか美味しかったよ。

お腹いっぱいになりました。


さ、仕事、仕事。




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おはよう




先ほど起きました。


今日は地元の花火大会でしたので
毎年恒例の知人宅での花火鑑賞。
夜8時から9時過ぎまでビールを飲みながら一等席で見れました。

去年は風向きの関係で花火が自らの煙で見えにくかったんですが
今年はバッチリでしたね。

写真もスマホで皆がバシャバシャ撮っててカシャカシャ言ってて。

ブログなんかやってるのは僕だけなんだろうけれど
フェイスブックやインスタやらTwitterやらLINEやら・・・

みんなやっているのか忙しい。
作業がおんなじなんです(笑)

スマホで撮っても距離がある花火は
なかなかいい風には撮れませんよねぇ。

でもこの感動を伝えなきゃってカシャカシャカシャカシャ(笑)
生でしっかり見なきゃとか思いつつ僕もつられました~。


 


家に帰ってお風呂や歯を磨いたらもう眠くって眠くって。
ビール2本ぐらいなんですけど。

先ほど起きて、ブログ書いてて今は1時前。

今からヴァナディールにインして寝ます。


はあ・・・また不規則だよ・・・。


おやすみなさい!



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熱帯になった日本



暑い。熱い。

みなさん大丈夫でしょうか。

小学一年生の子が熱中症で亡くなったというニュースで心が痛い・・・。
この暑さにどう向き合うべきか考えさせられます。

九州、福岡に住む僕でも
小さい頃は32度ぐらいで
暑い暑いと言っていたように思います。
30度を超えると少し注意をした感じですよね。

最近の40℃を意識する気温の動きやスコールのような雨を見て、ちょっと考えや生活そのものを改めなければいけないのではないか?もう日本は亜熱帯じゃなくて熱帯なんじゃないかと思ってしまいます。



北欧の人って

福祉が充実していて男女平等とか短時間労働とか
ホームレスがいないとか
良いイメージでしか日本では語られませんがこんな意見があります。

じつは必要性があってそういうシステムになったという話。

極寒の地では冬はあまり動けなくなるので
生きていくためには稼働できる間に稼ぐ。男も女も総出で働かないと生活できない。男女差別なんて言ってられない。
そんな流れで作られた社会システムというのです。

ITが発達したのも屋内での仕事に国を挙げて支援できた
というのも関係があるのかもしれません。人口が少ないのもプラス。

また、ホームレスなんて寒くて死んでしまうので
そもそも居ないんだとか・・・。外じゃ凍死しちゃうから。

みんなでお金を出し合って
福祉を充実させることに異論は出にくかった。

必然性があったってことでしょうか。
そう聞いて、僕はちょっと納得いったんですよね。



それならば日本も、もう必然性があるわけです。
この酷暑を前提とした熱帯対策が必要なんだと思うんです。
そろそろ根本的なことを変更していかなくては・・・。

命の問題です。
いつも言いますが特に子供達を守らないと。


①春、冬、GWなどの休みを短くして夏休みを1日でも長くする。
午前中のみとかも含めて。その前提での社会を作り直す。

②32度以上ぐらいから避難と同等の警報を出し屋外活動・部活や遠足なども禁止する。(もう台風扱い)

③ランドセルや教材の超軽量化。通学の負担軽減。学校にロッカー完備。

④全ての教室にクーラー完備。

⑤日陰をたくさん作る。とにかく陽射しカットのために木を植えたり校舎の窓にひさしなどを付ける。


他にも甲子園とかだって夏はしないとか。
どう考えても非効率なことは変えていかないと。

センター試験とかだっていっつも大雪。
そろそろどうにかしないとさ。非効率すぎるわけです。

日本人って良くも悪くも変更が苦手なんでしょうね。
人が死ぬレベルになったときは、根本的に動かしていかないといといけません。


小さい事にとらわれずに
命を守ることを優先で考え
伝統や文化も手を加えなくちゃ。


まとまったかな~。
おっやすみなさい。



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支援



神様が何かを試すように
過酷な災害と陽射しで
容赦なく被災地の方々を苦しめています。


大変な被害。

大変な復旧。




考えが生まれないほど茶色となった映像の中

そこに降り立ちひとつの石を、ひとつの瓦礫を
大切な命を失った方々を

大粒の汗を拭いなら抱えていらっしゃる
自衛隊やボランティアや地元の、遺族の方々。



遠いこの場所からの言葉は
とても白々しいのかもしれないけれど
人間の強さとやさしさを見せてくれてありがとう。

知り合いの方も被災されています。
今僕たちはできることをやろうと思います。

暑さには休憩と水分補給。

被害には募金。

可能な範囲で支援をしましょう。

きっと
あの石コロ一つを
動かすことの力になるかもしれないのだから。

10年以上かかるであろう復旧は
今始まったばかり。




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1年後の地球


去年の夏でしたか。


僕は地球を買いました。

まわり続ける地球「MOVA」。


このブログでも2エントリーに渡ってご紹介し

大好評となりました(たぶん・・・


ええっと写真がどこかに保存されてたなぁ。



あった、あった。






な~んだただの地球儀じゃんって言っちゃう
新人の皆さんにはこちらを見て頂きたい。





もう、結構有名になっちゃってみんな知ってるかな・・・。





あれからおよそ1年。

僕の部屋で周り続けております。

癒し続けています










このリアルな地球。

ついに1年を経て「温暖化」の兆しが現れ始めました。



そう。



オゾンホールの出現です。



ちょー目で見えるんです。

すごい。



ご覧頂きたい。





見える?

北極辺りにポワンっとあるやつ。





気泡です・・・。

気泡・・・





かっこ・・・





・・・よろしくない。





まだしっかり周ってるけれど、なんかダサい!!





改めまして商品の説明
「電池いらずで日常の光と地球の磁場・重力を利用して半永久的にゆっくり回り続ける地球儀。
外側のアクリル球体ケースの中に少し小さい地球儀が入っている二重構造になっており、2~3mmの隙間に回転をスムーズににする特殊な液体が充填されています。だから、手に持っても回る地球儀の動きを止める事は出来ません。地球儀の中の太陽電池が球を通って入ってくる光を電流に変え、その電流を動力に利用しています。磁気作用と重力によって地球儀が自転するので、置いておくだけで室内光等を受けて自然にゆっくり回ります。
中国系アメリカ人Shaw.Y.Lin博士が自身の地球儀好きから約7年の歳月をかけて開発。アメリカ、日本をはじめ世界各国で特許を取得しています。
1分間に約2回転という人間工学的に「人が安らぐ早さ」で回る為か、見つめているとなんだか癒されるのも不思議です。」
この地球儀の中は完全密封で(液漏れするので当然ですが)
気化とかしないのになんでだろう。




とりあえず保証期間内だろうと保証書を見てみました。



保証は6ヶ月・・・。



終わってるし。



しかも海外からの取り寄せ品なので
保証期限なんて絶対過ぎてるよねぇ。




色々と調べてみると、他の方のレビューでも気泡症状に関しては

チラホラ書かれています。

高温多湿だと体積が変化しこの症状が出ることがあるらしい。

滴温で管理すると元に戻る?との事。




まじで~~~?




これほどの気泡が元に戻るなんてちょっと考えられないなあ。

しかし買い直すほどお金持ちじゃないので

買った時に入っていた箱に戻し、クローゼットの奥に入れています。

戻るといいけれど・・・。



しかし



気泡は出たものの、商品自体は大変素敵なものでした。

来客があるたびに

「何これ!!どうなってるの!!」っと

ナイスなリアクションをたくさん頂けましたし

僕の周囲で「俺も買う!私も買った!」との

喜びの声を多数頂きました。

久しぶりのヒット商品でしたね!!(うさんくさすぎる!!


冗談はさておき


本家の僕としてもこのままではいられないと

気泡さえ無ければ2個目の購入を視野に入れていたところでした。




気泡について調べてて気付いたんですが


この衛星写真風絵柄の地球儀MOVAの価格が高騰している・・・

MOVA 不思議な地球儀 MOVAグローブ11cm MG45STEC

amazonで26,070円。って高っけえな、オイ!!

僕が買った時より1万円ぐらい値上がってる!!!



ので


まだ安いところはないかと探したら
買った時より安く売っているところがありましたよ。

残念ながら「地球」の絵柄はもう売り切れていましたが・・・

ムーバグローブ MOVA Globe 地球儀 4.5インチ


12,636円。地球以外でいいならならここが最安かもですね。

ってかお店の人ではありませんよ(笑)


次は
 
アンティークのキューブが欲しいと思っています。

MOVA Cube グローブ 12.7cm


でも

送料入れたら5万円!!



たけえええ!!!






宝くじ当たったら買おうね~





※オススメ雑貨としてエントリーしたので
正直に問題があったことを書いてみました。

MOVAは
気泡が出来る可能性があることをお伝えしておきます!!
元に戻ったらまた報告します!!

(気泡が無ければ最高なんです!!


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